其の六十四 「ソビエト社会主義共和国連邦の旅 その①」

その昔、横浜から船に乗って、揺れに揺れる津軽海峡を抜けて、ソビエト社会主義共和国連邦のロシア共和国のナホトカに着いた。
そこからシベリア鉄道に乗って、白樺を見ながら北上、ハバロフスクに到着。
そして飛行機でイルクーツクへ行き、バイカル湖とダムを見学。
ここからまた飛行機でウズベキスタン共和国の首都タシケントへ。
機内から見えた雲上の光はこの世のものとは思えない美しさだった。
またこれも機内から見えた地上は、岩山の連続で、これまで見てきた地上とは全く異なるものだった。
タシケントをはじめ、ウズベキスタンの都市はオアシスの町だ。
チムール帝国の首都だった古都サマルカンドは綺麗なモスクが残っている。
しかし乾いて暑い風は、この地で生きる厳しさを語っているようだ。
古都ヒワは砂漠の町。
飛行場は舗装されておらず、土というか砂の滑走路だ。
気温は摂氏47度。らくだに乗ってピースをして写真をとるが、暑い・・・。
続いてカスピ海を越えてアゼルバイジャン共和国のバクーへ。さすが世界一大きな湖で、海にしか見えないねえ。
アルメニア共和国エレバンからノアの箱舟伝説のアララト山が見える。
名産のブランデーを飲む。
ここからグルジア共和国の首都トビリシまでは、「村を見たい!」というおっさんの希望で車で移動。
その途中で田舎の食堂に入り、車の運転手と同じ煮込み料理を食べたが、これが旨かった。
この時期のソビエト連邦内は、自由旅行が認められておらず、旅行者はツアーに参加するか、個人旅行の場合は全ての行程、宿泊ホテルや移動手段を事前に決めなくてはならなかった。
だから指定されたホテルは外国人向きの現地最高レベルのホテルだった。
これまで貧乏旅行しかしてこなかったおっさんにとっては、異質の世界ではあった。
だから否応無く?朝食などはホテルでとることになり、それはそれで旨かったのだろうが、今現在記憶に残っているのは、このときの食堂の煮込み料理だ。
やはり真の美味はその土地の庶民料理にあるのかもしれない。