其の六十六 「無鮨 むら田」

30年も前になるだろうか。雑誌「あまから手帖」に鮨屋の記事が載り、その板さん「むーさん」が紹介されていた。
行きたい思いはありながらも店のあるあたりに行く事もなかったので、そのままになっていた。
それが1年ほど前だったか、新聞に北新地の「無鮨石和川」が板さんの写真とともに紹介されていた。その板さんが「むーさん」だった。
新地なら場所はわかる。しかも記事によるとランチなら千円であるそうだ。
こりゃあいかなきゃ!と記事を切り抜いておいたのだが、なかなか新地までは足が伸びなかった。
それがついに意を決して(そんな大袈裟な)行った。店名は「無鮨 むら田」に変わっていたが、千円のランチは変わっていなかった。
白い鉢巻を巻いた「むーさん」にお目にかかれるかと思っていたが、残念ながら居なかった。
注文して待つことしばし。まず鯛と玉子が出た。そして鯵とサーモン。続いて生蛸(梅肉)とよこわ(ちり)。いなりと煮穴子
おくら(ごまだれ)は別皿に。ラストは梅きゅう(きゅうりは千切り)。の十貫。
これに麩とわかめとねぎの味噌汁、デザートは寒天にりんごのすりおろしの蜂蜜づけをかけたもの(その上にりんごの皮の千切りも乗っている)が付いた。
食後(というか鯛を食べた直後から)の感想は、まず「これが鮨か!」という驚きだった。
これまで食べた鮨は、大きさといい歯ごたえといい、ネタの存在感が大きい。
しかしここの鮨はネタは自らを主張せずにシャリと溶け合い、1貫を食べ終えた後にはシャリの味が残る。
そしてシャリの味(固さや量も)が食後感に充分に応えることができるものだった。
様々な店で刺身を食べるが、大体は新鮮で歯ごたえがあって、という刺身を売りにする。
しかし一定レベル以上の和食の店で供される刺身は身が柔らかい。
魚の身は締めてからある一定の時間をかけて熟成して旨みが出てくる。そうすると獲れたての歯ごたえはなくなり、柔らかくなる。
一流の店は、歯ごたえより旨みを取っているのである。
鮨もまたしかり。「無鮨 むら田」のような一流の店は、旨みのあるネタを供しているのだ。
そしてその柔らかさがシャリとの愛称を高めている。
梅きゅうのきゅうりが千切りにされているのも、鮨としてシャリとネタが溶け合うための一仕事なのだ。
十貫全て供されたまま口に運べば良いというのも、嬉しい。
こちらで醤油を塗らなくても、供された時点で味付けは済んでいるのだ。
「来て良かった。こんな鮨の世界があったんだ。」
単に「美味しかった」というだけでなく、鮨の奥深さを覗き見できた嬉しさで、ほくほくとして帰路についた。